親や先生に「嫌いな食べ物も残しちゃダメ!」って言われたことがある。理由を聞いたら、「作ってくれた人に失礼だから」だって。絶対に完食しなきゃダメなの?
絶対に完食することだけが答えじゃない。大事なのは、嫌いな食べ物にも向き合うことなんじゃないのかな?
どうも、イチゴハです。
嫌いな食べ物があるみなさん!残そうとすると
「ちゃんと食べなさい。作ってくれた人に失礼でしょ」
と言われたことはありませんか?
でも、完食すること以外は全部失礼なのでしょうか?
今回は嫌いな食べ物を完食する以外の選択肢について考えていきます!
Contents
嫌いな食べ物を食べれば、失礼ではないのか?

「嫌いな食べ物も食べなさい。作ってくれた人に失礼でしょ」
「作った人に失礼」は「作った人が悲しんでしまう」と言い換えることもできます。
では、食べさえすれば失礼にはあたらないのでしょうか。
食べる人が食べてくれれば、作った人が悲しむことはないのでしょうか。
食べる人の感情も大切だよね!
「食べてくれれば、それでいい」そんなことはありませんよね。
食べる人がどんな気持ちで食べてくれるのかも、作った人にとっては気になる部分です。
作った人が食べてる人に「おいしい?」と聞くのも、自分の料理がどう思われているのかが気になるからでしょう。
「まずい」と言われたら、それはそれでショックだ

嫌いな食べ物を笑顔で食べられる人は、いません。
大抵「まずい」「おいしくない」と言ってしまったり、そのような雰囲気がする表情をしたりすることでしょう。
場合によっては「おえっ」と嗚咽しながら食べることになるかもしれません。
そんな様子で食べている人を見ても、作った人は喜ばないでしょう。
むしろ「自分の作ったもので人を苦しませてしまっている」と悲しむこともあるのではないでしょうか。
食べる人が食べているのに、作った人が悲しんでしまうという結果に陥ってしまうのです。なんだか悲しいですね。
嫌いな食べ物を嫌いと言ってはいけないのか?
「作った人に失礼だから、嫌いなものも食べなさい」という考えには、もう一つの疑問点があります。
それは、誰のために食べ物を食べるのかということです。
先述の通り「作った人に失礼だから」という言葉は「作った人が悲しんでしまうから」と言い換えることができます。
つまり、これでは作ってくれた人のために食事をすることになってしまいます。
食べ物を食べるのは、自分のためだよ。

そもそも、人間が食べ物を食べるのは、自分が生きていくためです。
つまり、自分のためなのです。
そして食べる人は、どのような食べ物を食べていくのか選ぶ権利を持っています。そこには食べないという自由も含まれています。
それとともに、その食べ物を食べることによって身体に起こる変化の責任を負う必要があります。
極端な話、甘いものばかり食べたっていいんです。ただし、食べ過ぎて病気や虫歯になったときの責任は負わなければなりませんが。
食べたものを評価する自由も持っている

そして私たちは、食べ物を食べた後、評価する権利を持っています。
評価というと冷たい印象がありますが、おいしかった・まずかったを言う権利があるということです。
つまり、なんでも食べて「おいしい」と言わなくてもいいのです。
ただし、評価をする際には、言われる相手の気持ちも考える必要があります。ただ「まずかった」と言うより、どこがおいしくなかったかを言うことが大切なことでしょう。
嫌いな食べ物を食べなくても、失礼ではないのか?
ここまで考えてきたことから、嫌いな食べ物は残してもいいことが分かりました。
「分かった!嫌いな食べ物は食べなくてもいいんだね!」
…ちょっと待ってください。嫌いな食べ物に一切手をつけないのは、失礼なことといえます。
食べ物にきちんと向き合っていないからです。
嫌いな食べ物にも向き合うことが大切!

食べ物を作った人、もしくは食べ物そのものに対して一番失礼な行為は、食べ物を食べ物として扱わないことです。
具体的には、バラエティ番組でのクリーム砲や、ドラマでのちゃぶ台返しなどがあたります。
いずれも、食べ物を食べようとしていません。
食べ物に対して、また作った人に対しての礼儀は、食べ物を食べ物として扱うこと、つまりちょっとでもいいから食べてみることなのです。
完食することが礼儀ではありませんが、食事を作ってくれた人や食べ物への礼儀自体は存在するのです。
完食しなければダメだ!と考えているあなたへ
今回の記事では、「食べ物を残すのは、作ってくれた人に失礼だ」という考えの変なところについて考えてみました。
しかし、「嫌いな食べ物も全部食べるべきだ」と考えている人の中には、別の理由を挙げる人もいるでしょう。
このことについては、また別の機会に考えていきましょう。
まとめ・嫌いな食べ物にも向き合おう!
1.食べ物を残すのは、失礼では無い。本当に失礼なのは、食べ物を食べ物として扱わないことである。
2.私たちはどんな食べ物を食べるか決める自由や食べたものを評価する自由を持っている。
3.嫌いな食べ物も少しで良いから食べてみよう。それは食べ物と作ってくれた人に対する礼儀なのである。
「世界には、食べ物を食べられない人だっているんだぞ!」